きまぐれじょがーのブログ

とある社会福祉士が経験や体験からの意見・考えを発信したり、書籍紹介をしたりします。

人の存在価値は、その人の「体験」自体にある~相模原事件を受けて~

ご存知のとおり、今年7月にとても痛ましい事件が起きた。

相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」の殺傷事件だ。

仕事上、度々この事件について考えさせられる機会がある。

そこで、私の考えを書き留めておく。

 

人の生きる価値や意味は、その人の「体験」にある

植松容疑者の例の手紙から読み取れるのは、

経済社会にとって価値のない重度障害者は排除すべきだ、という考えである。

 

重度障害者は本当に生きる価値がないのか?

 

そもそも人の生きる価値とは何なのか?

 

おそらく、誰しも一度は「自分の生きる意味や価値」に

思いを巡らせたことがあるのではないか。

私の答えは、その人の「体験」にこそ生きる意味や価値がある、だ。

人は「体験」もしくは「経験」をするために生まれてくるのだ、とも言える。

 

人は、経済的価値のために生まれてくるのではない。

 

重度障害者の「体験」とは

障害者施設での生活を想像してみよう。

 

それは、

外の鳥の鳴き声で目が覚めたこと。

朝食のお味噌汁が温かくておいしかったこと。

周りの笑い声がなんだか楽しい気分にさせてくれたこと。

車椅子に長い時間座っていて体が痛くなったこと。

手伝ってほしいことを職員にうまく伝えられたこと。

散歩に出掛けたら日の光が暖かかったこと。

風の香りがさわやかだったこと。

お風呂に入ってさっぱりしたこと。

でも、もう少しゆっくり入っていたかったこと。

夕食のご飯が硬くてまずかったこと。

布団の中でお母さんの匂いを思い出したこと。

お父さんと電車に乗ったことを思い出して、思わず声に出して笑ったこと。

それに職員が驚いて、急に部屋に入ってきたから自分も驚いたこと。

しいんとして静かで怖いけど、とても眠いこと・・・。

 

そうした体験に、価値がないと誰が言えるだろうか。

そうした体験を、誰が問答無用に奪えるだろうか。

 

現代社会における価値の偏重

経済的価値への偏重。

そうした価値観が社会に蔓延しているのではないか。

経済的価値は人の命よりも重いのか。

 

経済的価値から見た重度障害者は、

生産性が著しく低く、その価値は無いに等しいかもしれない。

 

だからといって、

経済的価値の無い人は社会から排除されなくてはならないのか。

人命よりも経済的価値を優先させなければならないのか。

 

自分の持つ価値基準が、自分自身を縛る

社会から押し付けられた価値ではなく、

自分自身で決めた価値の中で生きていいのだ。

 

自分の価値観を相手に押し付けるだけではいけない。

相手の価値観も尊重しなくてはならない。

簡単に言えば、自分がされて嫌なことは相手にもしてはいけない。

 

植松容疑者は、自分の価値観を周りに押し付けた。

 

彼は自身の存在価値を経済社会の中に見出せなかったのだろう。

もしくは、自分には価値がないというメッセージを周りから受け取り続けた。

そうした中、自分へのやるせなさや社会への怒りが溜まりに溜まり、

彼自身が受けてきたメッセージを、重度障害者に向けたのかもしれない。

 

だからといって、彼の行為を擁護するつもりはない。

彼の行為は決して許されるものではない。

 

普段、私たちは、

お金持ちかどうか、仕事ができるかどうか、

学歴や運動能力、容姿、面白さなど、

様々な価値基準で、人に対して優劣を付けているだろう。

 

人に与えた価値基準は自分自身にも返ってくる。

 

ある人が誰かに対して「自分よりもお金持ちかどうか」で

優劣の判断をしているとしたら、

自分自身にも同じ価値基準を与えている。

自分よりも貧しい人を見つけては優越感に浸り、

自分よりも裕福な人を見つけては劣等感に苛まれる。

往々にして、自分自身に向けている価値観には無自覚なことが多い。

 

あなたが重度障害者に対して、生産性が低く価値がないと判断するならば、

あなた自身に対しても、そうした判断を与えていることを意味する。

 

例えば、生産性という基準からすれば、

あなたは重度障害者よりもずっと優秀だろう。

 

では、あなたよりも優秀な人はいないだろうか?

 

あなたよりずっと優秀な人にとっては、

あなたは価値のない存在かもしれない。

 

こうしてあなたの価値基準と判断は、あなたに返ってくる。

 

価値基準は選べる

価値基準は時代につれて変わる。

経済的豊かさを求めることは、絶対ではない。

 

価値基準は自分自身で選べる。

価値基準を、美しさや芸術性に置いてもいい。

面白さや楽しさに置いてもいい。

家族とゆっくり過ごす時間に置いてもいい。

 

人は価値基準を選べる。

 

まだまだ書きたいことはあるのだが、まとまりそうもない・・・

後日、追記したいと思う。

はじめまして

きまぐれじょがーと申します。

初投稿なので、簡単にブログの紹介をします。

 

ブログを始めたきっかけ

私が社会人になって約10年が経とうとしています。

この間、社会で揉まれてみて、様々なことが見えてきたり、

感じられたりしてきました。

 

以前から「何か書きたいな」とは思っていました。

仕事が少し落ち着いてきたこともありまして(忙しいながらも)、

いよいよブログを始めてみよう、という気持ちになりました。

 

実は学生の頃、ブログをよく書いていました。

その頃の内容は、他愛の無い日記、雑記のようなものでした。

 

ここでは、仕事での経験や体験を活かした記事を書けたらいいな、

と思います。

 

自己紹介

 

東京都在住の男性です。社会福祉士として働いています。

趣味は読書と、気まぐれでジョギングをすることです。

最近は月1回くらいしか走れていないので、もう少し走りたいな~、

と思っています。

 

こんなブログにしていきたい

皆さんに、少しでも役立つ記事や「へぇー!」と思わせるような記事を

発信できたらと思います。

 

例えば、

  • 福祉の仕事の経験や体験をもとにした意見・考え
  • 書籍の紹介
  • その他、雑記など

です。

 

分かりやすく、読みやすい内容を心掛けていきますので、

どうぞよろしくお願いします。